「印刷工場まで、必ず見に行きなさい」。部長の一声で、私は3ヶ月に3回、郊外の工場地帯に通った

リテールマーケティング

「制作物は、必ず印刷工場まで確認しに行きなさい」
ある日、部長からそう告げられた。理由は、誤記や色味のミスが、続いていたからだった。

■入稿が終わり、印刷の直前に出てくる「刷り出し」。
それを、事前に確認していた色校正のサンプルと、その場で見比べる。文字に間違いはないか。色は狂っていないか。
工場は、都心には作られない。印刷という設備の性質上、たいてい関東近郊の郊外にある。千葉の野田や市川、あるいは調布、神奈川方面。行き先は毎回違ったが、いずれもわざわざそのためだけに、時間をかけて足を運ぶ場所だった。3ヶ月に1回から、多い時で3回ほど。
私が行くとなれば、発注している代理店の担当者たちも、当然来ないわけにはいかない。営業からディレクターまで。結果として、ちょっとした団体で工場へ向かうような格好になっていった。
正直、忙しい中でこれをやるのは、なかなかのストレスだった。「さすがに、これはやりすぎではないか」と、何度も思った。

■ それでも、一度もミスは起きなかった
不思議なもので、印刷を待つ間、いつもは会議でしか話さない代理店の人たちと、半日ほど一緒に過ごすことになる。刷り出しが出るまでは、ただの待ち時間だ。その間に、「次はどう動こうか」という話が自然と生まれた。
1,000部刷るだけでも、機械の調子が安定するまでに何百枚も予備を刷る必要があること。印刷という工程が、想像以上に職人的で、地道な調整の積み重ねでできていること。工場に行かなければ、一生知らなかったことも多い。
そして、これが一番の事実なのだけれど、このルールが続いていた間、誤記や色味のトラブルは、一度も起きなかった。
「信頼していますから」「気をつけます」。そういう言葉は、ミスの解決策には、実は何もならない。「最後は自分の目で、現場で確認する」という、ただそれだけの物理的な仕組みが、結局は一番効いた。
数年後、部長が変わり、このルールは静かになくなった。正直、少しほっとした。

■ もし自分が部長だったら、と考える
今でも時々、考える。もし自分があの時、部長の立場だったら、どうしていただろうか。
代理店ごと。制作物ごと。担当ごと。ミスの起きやすいパターンを整理して、もっと違う仕組み化のやり方もあったはずだ。
ただ、どれだけ精緻な仕組みを作っても、最後には必ず「本当にその通りにやっているか」という、現場への信頼の問題に行き着いてしまう。かといって、部長が末端の案件まで一つひとつ細かく確認するようになれば、それはもうマイクロマネジメントだ。「あなたを信頼していません」と言っているのと、同じことになる。
現場を知らなければ済まされない。でも、実務のすべてを把握しようとしてもいけない。このバランスに、綺麗な正解はないのだと思う。

■ 「経営者だと思って動け」という言葉への違和感
組織には、階層がある。部長がいて、マネージャーがいて、主任がいて、現場がいる。
店舗で考えると分かりやすい。店長は全体を見る。フロア長は価格や在庫を回す。現場は、とにかく売り、品出しをする。その役割分担がある以上、忙しい店長に「品出しを手伝ってください」と思う人は、まずいない。
なのに、時々こんな言葉を聞く。「一人ひとりが経営者だと思って行動しろ」。
経営側の気持ちは、分からなくもない。でも、現場の立場からすれば、正直に言えば「そう言われても、無理な話だ」と思う。権限も、給料も、見えている景色も違う。それなのに、経営者と同じ視座を求められても、応えようがない。
感覚値で「分かるだろう」と押し通すのは、フェアじゃない。もっとロジカルに、それぞれの役割と権限を、はっきりさせていく必要があるのだと思う。

■ 仕組みか、信頼か、それとも役割の設計か
あの工場通いは、今振り返ると、かなり極端なやり方だったと思う。それでも、ミスがゼロになったことも事実だ。
大事なのは、「精神論に逃げないこと」と、「役割を曖昧にしないこと」なのかもしれない。誰が、どのレイヤーで、何に責任を持つのか。それがはっきりしていれば、極端な物理チェックに頼らなくても、同じ結果に近づける仕組みは作れるはずだ。
御社の組織には、「気をつけます」という言葉だけで済まされている工程はないだろうか。あるいは逆に、現場に「経営者意識」という言葉だけを渡して、権限や仕組みを渡し忘れていないだろうか。そのあたりを、一度一緒に整理してみませんか。


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