「誤記ゼロ」は当たり前という残酷な要求。170種類のPOPを、たった一人でチェックしていた日々

リテールマーケティング

深夜、蛍光灯だけがついたオフィスで、私は同じ紙を何度も読み返していた。
型番、スペック、価格。数字も文字も、一字一句、正しいか。
その日チェックしていたPOPは、全部で約170種類。ノートPCのモデルごとに違う「強み」を書き分けた、店頭に立つ小さな紙たちだった。

もし「他社より軽い」と書いた数値が間違っていたら。もし「業界唯一」と書いた機能が、実はもう他社にもあったら。それは「優良誤認」と呼ばれる、企業の信頼を揺るがす事故になる。
現場の販売員からは「違うぞ」の一言で済むかもしれない。でも本部にいる私にとっては、その一言の先に、全店舗分の差し替えという、途方もない作業が待っていた。
だから私は、何重にもチェックをした。素原稿の読み合わせ。製品企画への確認のメールを開くとき、いつも少しだけマウスを持つ手に力が入った。「今回は大丈夫ですよね」と念を押す自分の心の声が、今でも頭の中で繰り返している。並行して作っていたカタログとの突き合わせ。外部の校正会社にも頼んだ。
それでも、間違いはゼロにはならなかった。

不思議なもので、170種類のうち169種類を完璧に仕上げても、その達成感はあまり記憶に残っていない。
覚えているのは、たった一つのミスの方だ。
ある展示機に貼るはずだったPOP。電源ボタンの位置と、POP側の切り込みの位置が、数ミリずれていた。誤記ですらない、ただの物理的な設計ミス。それでも、その数ミリのことを、私は今でもはっきり思い出せる。
これは、人間の脳のクセらしい。「何かを得る喜び」より「何かを失う痛み」の方を、人は約2倍強く感じるという。行動経済学では「損失回避性」と呼ばれている。
現場の販売員が新商品を売りたがらないのも、実はこの心理が働いている。でも同じことは、本部の担当者にも起きている。ミスを防ぐ緊張感は、達成の喜びよりずっと重く、静かに、担当者一人の中に積み重なっていく。

当時の私は、「最後に間違いを止めるのは自分だ」と本気で思っていた。
その覚悟自体は、間違っていなかったと思う。攻めるべき訴求は攻める。ミスを恐れて表現を薄めることはしない。それは今も変わらないプロとしての矜持だ。
ただ、今振り返ると気づくことがある。
あの体制は、「私」という一人の人間の緊張感と体力の上に、かろうじて成り立っていた。もし私が異動したら。もし制作物が170種類から300種類に増えたら。あの防波堤は、あっけなく崩れていたはずだ。
属人的な緊張感は、担当者本人にとっては誇りになる。でも組織にとっては、実はかなり危うい綱渡りでもある。

店頭に商品を並べているメーカーやリテール企業なら、この重圧は決して他人事ではないと思う。
制作物の点数は、多いところでは何百種類にもなる。担当者は変わる。忙しさは増える一方だ。それでも「誤記ゼロ」という要求水準は、誰も下げてはくれない。
この重さを、一人の頑張りだけに背負わせ続けていいのだろうか。
私が今、株式会社マーケバディとしてこだわっているのは、この「誰か一人の執念」を、担当者が変わっても、点数が増えても機能し続ける仕組みへと翻訳することだ。チェックリストのひな形を渡して終わり、ではない。現場と本部、双方の負荷を実際に見た上で、フローそのものを一緒に組み立て直す。
もし今、御社の制作物チェックが特定の誰かの頑張りに支えられているとしたら。一度、その仕組みを一緒に見直してみませんか。


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