かつて私は、家電量販店の店頭に置かれる展示機の「体験コンテンツ」を、カタログ以外の店頭ツールとほぼ一気通貫で担当していました。
普段はスクリーンセーバーとして動画が流れ、お客様が画面に触れるとボタンが現れ、その商品ならではの特徴を実際に操作しながら体験できる。当時はまだ「体験(エクスペリエンス)が大事」と世間で盛んに言われる前でしたが、私の部署はずっとそこに向き合い続けてきました。
「楽しさ」を伝えるために費やした、途方もない手間
体験コンテンツで最も大事にしていたのは「楽しさ」でした。液晶の綺麗さなら、スペックの数値ではなく「自分が撮った写真を見て、綺麗だったな、楽しかったなと振り返らせる」ことが目的です。音の良さなら、映画や音楽とタイアップさせる。
ただ、この「最適な一枚」「最適な一曲」を選ぶ作業が、想像以上に過酷でした。
新商品が出るたびに、色再現度や高精細さを最適に見せられる画像を何百枚とストックフォトから見比べる。「空の映像」は綺麗に見えても高精細さを伝えるには不向きだったり、逆にフルHDで流すなら「フルHDカメラで撮った素材」より「4Kで撮ってフルHDに落とした素材」の方が綺麗に見えたりする——そうした映像の原理まで踏まえて、一枚一枚を想像を膨らませながら選んでいました。
映画のタイアップも同様です。「派手で音が良く、誰もが引き込まれるメジャーな作品」でありながら、低音の迫力とセリフの聞き取りやすさが、予告編の数分間だけで完全に網羅されている——そんな作品を探し出す。時にはスピーカーを監修しているオーディオメーカーに直接音源を投げ、フィードバックをもらうところまで踏み込んでいました。
大変でしたが、同時にとても楽しかった。自分自身が「綺麗だ、楽しい」と心から思えなければ、お客様にその感情が伝わるわけがないからです。
制作会社との”熱量のズレ”——本当に難しかったのはここ
外部の制作会社と協業する場面では、もう一つの壁がありました。
制作会社はプロとして「意図に沿ったものを、いかに美しく撮るか」に力を注ぎます。一方で私が本当に求めていたのは、映像の美しさそのものではなく「これを見た人が、この商品を欲しいと思ってくれるかどうか」でした。
「こういうシーンで使えますよ」という提案で終わるのではなく、「この機能があるから、あなたの生活はこう良くなる」という一段階、二段階深いところまで踏み込んで伝えたい。ここのすり合わせに、実は最も時間と労力を使っていました。担当の方には無理難題を受け止めていただき、本当に今でも感謝しています。
もし今、この仕事をやるとしたら
この経験を振り返って思うのは、当時の労力の大半は「本質的な判断」ではなく、その判断にたどり着くための”物量作業”に費やされていたということです。
何百枚もの画像を人力で見比べる。条件に合う映画やアーティストを人力で探し続ける。制作会社に意図を伝えるための言語化を、何度もやり取りしながら詰めていく——これらは、今であればAIが相当な部分を肩代わりできる領域です。
条件を伝えれば候補となる素材や構成案を瞬時に洗い出し、狙いたい感情や訴求ポイントに沿った表現をいくつも試作させ、制作会社とのすり合わせも「言語化された意図」としてAIと一緒に磨き込んでからスタートできる。何週間もかかっていた検討サイクルを、大きく圧縮できる可能性があります。
一方で、AIに代わってもらえないものもはっきりしています。「自分がこれを綺麗だ、楽しいと思えるかどうか」という感覚と、「この機能があるから生活がこう良くなる、と2段階・3段階で顧客の心を動かす設計」——ここは、現場で人の反応を見てきた人間にしか磨けない領域です。
AIの素材を「お客様が満足する要素」へ昇華させる
ここで一つ、強調しておきたいことがあります。AIは確かに強力なバディであり、優れた素材(一次データ)を瞬時に提供してくれます。しかし、それをそのままにしてはいけません。
本部の役割は、AIが出力した素材を、現場の物理的な環境やデバイスの特性に合わせて徹底的にチューニングすることです。お客様が実機に触れた瞬間に頭をよぎる潜在的な不安——「本当にこのスペックで足りるのか」「自分の使い方に合っているのか」——を吹き飛ばし、「すごい」と直感させる、お客様が満足する要素だけを抽出する。そして、現場の環境に完全にフィットするよう研ぎ澄まされた表現・資料へと昇華させるのです。
かつて何百枚もの画像を見比べ、映画の予告編の数分間だけで低音と高音の両方が網羅されているかを確認していたあの作業は、まさにこの「チューニング」そのものでした。AIが候補を瞬時に大量に出せる時代だからこそ、その候補の中から「現場で、実機で、お客様の不安を吹き飛ばせる一枚・一曲」を見極める人間の目は、むしろ価値が高まっていると感じています。
AIの圧倒的な効率性と、人間の一つ一つの実機検証へのこだわりを掛け合わせる。その泥臭い伴走支援のプロセスこそが、商品の真の価値を解放し、集客の実行力を劇的に高めるのだと思います。
経営層にとっての意味
体験を軸にしたマーケティングの価値は、今も昔も変わりません。むしろ、量販店のショールーム化が語られて久しい今だからこそ、映像やスペックだけでは伝わらない「体験」の重要性は増しています。
変わったのは、その体験を作り上げるまでの物量作業に、経営資源をどれだけ割かなくて済むかという点です。限られた人・時間を「何を伝えれば欲しいと思ってもらえるか」という本質的な判断に集中させ、そこにたどり着くまでの膨大な手間はAIに任せる。この分担ができるかどうかが、これからの店頭・接客・コンテンツ戦略のスピードと質を大きく左右すると感じています。
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