DXが根付く現場と、根付かない現場。分かれ目はツールの性能ではなかった

リテールマーケティング

1990年代の終わり。会社のパソコンには、Windows95が入っていた。もうすぐ98に変わる、そんな時期だった。
私は大手PCメーカーのパソコン営業をしていた。当時のパソコンは、今のように売れるだけ作れる商品ではなかった。生産できる台数が決まっていて、それを「枠」として各支店に割り振る。私たちはその限られた枠を、担当する販売店にどう配るかで、日々の商談を組み立てていた。

■問題は、その「枠」を管理するシステムだった。
古い、特殊なDOS系のシステム。枠数と注文の紐づけくらいはなんとか見られる。でも、それだけだった。管理のしやすさも、商談で使う道具としても、まるで機能していなかった。
支店の誰かが困っていたわけではない。ただ、日々の商談のたびに、頭の中で数字を組み立て直す手間が、ずっと積み重なっていた。
私は、それが面倒だった。

■ 「自分の分だけ」のつもりが、支店全体のものになった
もともとの目的は、自分が担当する販売店の状況を、自分が使いやすい形で把握することだった。商談の武器にしたかっただけだ。
でも、作り始めてから思った。どうせなら、支店全体の数字も反映できる形にしてしまおう。
高度なことは何もしていない。Excelの関数を組み合わせただけだ。SUM。VLOOKUP。今なら誰でも知っているような、ごく基本的なものだけで十分だった。
ただ、当時はまだExcelやLotus1-2-3を実務レベルで使いこなせる人が、周りにほとんどいなかった。インターネットにも、細かい使い方を教えてくれるサイトなんてほぼ存在しない。分厚い解説本を片手に、一人で試行錯誤しながら組み上げた。
出来上がった管理表は、思った以上に支店の役に立った。マネージャーからは「これからも作り続けてくれ」と言われ、いつの間にか支店の標準ツールになっていた。

■ 「楽をしたい」が、一番強い動機だった
一度、マクロ(VBA)にも手を出そうとしたことがある。でも結局、そこまでは至らなかった。
理由は単純で、私のモチベーションが「自分の目の前の仕事をどうにかしたい」というところから、一歩も出ていなかったからだ。壮大な仕組みを作ろうとしていたわけではない。ただ、面倒くさかっただけだ。
今、DXやITリテラシーという言葉を、あちこちで聞く。でも、あの頃の経験を振り返ると、本質はスキルの高さではないと思う。
「楽になりたい」「分かりやすくしたい」。その現場の切実な思いだけが、結局のところ一番強い原動力になる。

■ 個人の工夫が、なぜ組織の仕組みになれたのか
今振り返って、少し不思議に思うことがある。
あの管理表は、完全に「私個人の思いつき」から始まったものだった。誰かに頼まれたわけでも、本部から指示があったわけでもない。それなのに、なぜ支店全体に広がったのか。
理由は、たぶんシンプルだ。「自分の分だけ楽になりたい」という個人の動機と、「支店全体の数字を把握したい」というマネージャーの課題が、たまたま重なったからだと思う。
もし私が、自分の分だけで満足して止めていたら。あの管理表は、私一人の便利な道具のまま、誰にも共有されずに終わっていたはずだ。
現場発の小さな工夫が、組織の仕組みへと育つかどうか。その分かれ目は、実はツールの出来の良さではなく、「誰かの困りごとと、たまたま重なったかどうか」という、ごく小さな運と観察にかかっている。

■ 今、同じことが起きているだろうか
今の時代、AIやDXツールは、当時とは比べ物にならないほど簡単に手に入る。
でも、道具が手に入りやすくなったからといって、現場が自発的に「楽になりたい」と工夫を始めるとは限らない。むしろ、本部から与えられたツールを、ただ受け取るだけになっていないだろうか。
あなたの現場では、今、誰かが「自分の分だけ」でも楽になりたいと工夫を始めているだろうか。もしその小さな芽が、まだ支店全体、組織全体には育っていないとしたら、そこには何が足りないのか。一緒に考えてみませんか。


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